ジョブズについて僕が思うこと

ジョブズが死んだらしくて、とても悲しいけど、自分にとってのジョブズって何だったろうかなーと思う。


ビルゲイツがコメントして、オバマ大統領がコメントしてて、Googleのトップページの表記が変わって、Amazonのページにもジョブズが死んだことを知らせてる。凄い人だし、悲しいニュースってのは解るけど、自分個人としてはどんなニュースなのかって言うと、あまり実感が無かったし、普段通りの一日を過ごしていた。ぼんやりしてて朝の電車乗り間違えたけど。


「え!死んだの!?」とリアクションを取ることは出来たがその後でどうしたということは無かった、驚いただけだった。


自分の生活圏内にジョブズが入り込んできたときっていつ頃だったかな。多分、iTunesを知ったことが最初だったか、「iPodかっこいいな」と思ったときが最初だったかな。
ジョブズという人がいると意識し始めたときは僕がミュージックプレイヤーを選んでいたときだったかも知れない。
MDプレイヤーが廃れて来ていて、SONY製のMP3プレイヤーにするかApple製のMP3プレイヤーにするかを悩んでたときだった。その時はSONY製にしたけどすぐに買い換えたことを覚えてる。iPodtouchに買い換えたんだったな、確か。思い返したらそのiPodtouchまだ使ってるよ、割と最近だな。


ジョブズの事を今まで一番考えてたとき、ってーとあの時だ。大学のスピーチの動画を見たときだ。ニコ動で見ててスピーチを翻訳したコメントを必死に見返してた。その後何を思ったのかそのスピーチをコピー用紙に全文書き写したんだったよ。その書き写した後のコピー用紙は実家にまだ残ってると思うな。何回も頭の中で反芻してた。変わることを求めだしたのはその頃からだったかな。今では当たり前の考えになってるけど。


最近ではMacBookAirを使うようになって快適なネット生活を手に入れることも出来た、macを使うようになってネット生活がより自由になったのは自分の中で本当にデカかった。
ネット回線を繋げる設定は最小限で済むし、ソフトのアップデートのたびに再起動を迫ってくるイライラからも解放された。快適なブラウジングをするために重いPC本体を持ち運ぶ必要なんて無いし、マウスなんていらない。


とにかく、最近の僕の考えを整形するきっかけになった物の中に確実にジョブズは存在している。


今のところは全く実感が無いが、結論的にジョブズは僕に本当に素晴らしい物を教えてくれたんだと思う、そう思ってるんだろう。ジョブズというよりも全てのMacBookAirに関わった人達、考え方のお手本になった人達に感謝って表現の方が近いかな。


問題はこのMacBookAir等の素晴らしいと感じている事や考え方を言葉にするのがとても難しいって事だ。こう、なんか、すごいんだよ!そのすごいのがもう感じることが出来なくなるんだよ!教えてくれなくなるんだよ!悲しいんだよ!